役に立つ仕事がしたい
先日、職場のボランティア活動に参加して一緒に活動した方の話です。
彼女は、入社3年目で大学では環境経済を専攻されたとのこと。
たまたま、ボランティアの現場からの帰りに駅まで車でお送りして、車の中で
いろいろお話をしたら、学生時代からの仲間でボランティアをしているというので
昨日、手元にあった資料を送って差し上げました。
そうしたら、お礼状が来まして、その中に書かれていたのが、タイトルの言葉でした。
「役に立つ仕事がしたい」という思いで会社に入り、ボランティア活動にも参加している。
一見、極めて平凡で素直な言葉ですが、長らく社会人をやっているとついつい忘れてしまいがち
な言葉ではないだろうか。
学生時代からいろいろな思いで会社に入り、役に立つといっても「経済的利益を得ることに役に立つ」とか「出世のために役に立つとか」考えがちでもある。
しかし、本当に社会人になる意味って何だろうと考えさせられると共に21世紀社会において人々の価値観が少しずつ変わっているのかもしれないと考えさせられる言葉であった。
21世紀社会デザイン研究科も「役に立つ仕事がしたい」仲間の集まりではあるが、ついつい日常業務の現実の中で、見失ってしまいがちである。
原点に戻った気持ちにさせてくださった彼女に感謝したい。
彼女は、入社3年目で大学では環境経済を専攻されたとのこと。
たまたま、ボランティアの現場からの帰りに駅まで車でお送りして、車の中で
いろいろお話をしたら、学生時代からの仲間でボランティアをしているというので
昨日、手元にあった資料を送って差し上げました。
そうしたら、お礼状が来まして、その中に書かれていたのが、タイトルの言葉でした。
「役に立つ仕事がしたい」という思いで会社に入り、ボランティア活動にも参加している。
一見、極めて平凡で素直な言葉ですが、長らく社会人をやっているとついつい忘れてしまいがち
な言葉ではないだろうか。
学生時代からいろいろな思いで会社に入り、役に立つといっても「経済的利益を得ることに役に立つ」とか「出世のために役に立つとか」考えがちでもある。
しかし、本当に社会人になる意味って何だろうと考えさせられると共に21世紀社会において人々の価値観が少しずつ変わっているのかもしれないと考えさせられる言葉であった。
21世紀社会デザイン研究科も「役に立つ仕事がしたい」仲間の集まりではあるが、ついつい日常業務の現実の中で、見失ってしまいがちである。
原点に戻った気持ちにさせてくださった彼女に感謝したい。
学ぶこころ・・・
最近のできごとである。
政治学を大学、大学院で専攻してきた若い方に
social exclusionという言葉を使って怒られた。
誰でも知っていて当然と思っているあなたが傲慢だと。
social exclusion とは社会的排除と訳される。
有名な話としては1997年にイギリスでブレア首相が登場したときに使われた言葉である。
近年の政治学を学ぶ方にとっては、ある意味ご存知だろうと思った。
仮にご存じなかったとしても、研究に関わる仕事をする者にとっては、インターネットでとりあえず調べてから反応して欲しいと感じた。
学ぶこころの基本ではないのだろうか。
その方は、立花先生も講義をされている我が国の最高学府といわれる大学の大学院を修了されている。
日本の学びについて、今一度見直すべき時期なのではないだろうか。
政治学を大学、大学院で専攻してきた若い方に
social exclusionという言葉を使って怒られた。
誰でも知っていて当然と思っているあなたが傲慢だと。
social exclusion とは社会的排除と訳される。
有名な話としては1997年にイギリスでブレア首相が登場したときに使われた言葉である。
近年の政治学を学ぶ方にとっては、ある意味ご存知だろうと思った。
仮にご存じなかったとしても、研究に関わる仕事をする者にとっては、インターネットでとりあえず調べてから反応して欲しいと感じた。
学ぶこころの基本ではないのだろうか。
その方は、立花先生も講義をされている我が国の最高学府といわれる大学の大学院を修了されている。
日本の学びについて、今一度見直すべき時期なのではないだろうか。
モジュール交換
某メーカーのG-Shockのデジタル表示が消えたので、電池交換に出したところ、
時計は表示されているがバックライトがつかなくなった。
交換をお願いしたお店の技術の方に調べてもらったら、電池を交換した直後は
バックライトが点灯するが1時間くらいするとつかなくなってしまうそうだ。
何回かトライしても同じ現象らしい。
電池交換をする前までは正常動作していたので腑に落ちない。
筆者は、理工学部でエレクトロルミネッセンスを研究していたので、どうしてELライトが点灯しなくなったのかに関心がある。時計が治るか否かよりもである。
しかし、メーカーは、あっさりとモジュール交換しまーす。とのこと。
現在の社会って、何かこういうところがないだろうか。
よく分からないけれども具合が悪くなったらとりあえずモジュールごとこうかんしてしまう。
何が壊れてそうなったのかを追及するよりもその方が安いからである。
雇用も「モジュール交換」、政治も「モジュール交換」で済ませてよいのだろうか。
もう少し、一人ひとりがよく考えなければいけないのではないだろうか。
時計は表示されているがバックライトがつかなくなった。
交換をお願いしたお店の技術の方に調べてもらったら、電池を交換した直後は
バックライトが点灯するが1時間くらいするとつかなくなってしまうそうだ。
何回かトライしても同じ現象らしい。
電池交換をする前までは正常動作していたので腑に落ちない。
筆者は、理工学部でエレクトロルミネッセンスを研究していたので、どうしてELライトが点灯しなくなったのかに関心がある。時計が治るか否かよりもである。
しかし、メーカーは、あっさりとモジュール交換しまーす。とのこと。
現在の社会って、何かこういうところがないだろうか。
よく分からないけれども具合が悪くなったらとりあえずモジュールごとこうかんしてしまう。
何が壊れてそうなったのかを追及するよりもその方が安いからである。
雇用も「モジュール交換」、政治も「モジュール交換」で済ませてよいのだろうか。
もう少し、一人ひとりがよく考えなければいけないのではないだろうか。
間違いがあってはいけない人たち
世の中には間違いがあってはいけない仕事というのがけっこうたくさんある。
たとえば、警察官、政治家、役所の職員、銀行員などである。
パイロット、原子力施設の職員なども間違いがあってはいけない仕事になろう。
こうした仕事につく人たちは、決して間違いがあってはならないということをその仕事に就いた時から教育されているのであるが、同時に間違いに気付き間違いを認め、間違いを修正することを教育されているのだろうか。
筆者の友人が銀行の仕事をしていて、銀行員というのは危機管理ができていないという話を聞くにつけ、なぜだろうと思った。
銀行員なんて、一番間違いがあってはならない人たちであるからである。
その友人いわく、銀行で「危機管理とは何か」を教えてもらった記憶がないという。
彼と話していて、わかってきたことがある。
それは、「間違いがあってはならないこと=間違いを認めてはいけないこと」になってしまうという職業病である。
つまり、間違いがあってはならない人たちは、決して間違いがあってはならない。万一、間違いがあったとしてもそれを間違いと認めてしまうと間違いがあったことになってしまうため、間違いを認めてはならないという思考回路がどうも生じているようである。
ちょうど、いまニュースになっている重大事故を起した某鉄道会社と当該事故調査委員会をめぐる一連の情報漏えい事案の対応を見ていてもそうである。まず最初は間違いを認めようとしない。認めてもあいまいな言葉で自身の責任を回避している。
こうした構造の背景には、間違いがあってはいけない人たちが間違いを犯すということ自体が極めて重大なペナルティになってしまうという企業風土があるのではないいだろうか。すなわち、間違い自体ではなく、「間違いを犯したということ自体」がペナルティになると考えるから、自身の保身のためには「間違いを認めてはいけない」ということになってしまう。
間違いがあってはならない人たちの最大の危機管理は、間違いに気付き間違いを認めて改善案を考えることなのかもしれない。
たとえば、警察官、政治家、役所の職員、銀行員などである。
パイロット、原子力施設の職員なども間違いがあってはいけない仕事になろう。
こうした仕事につく人たちは、決して間違いがあってはならないということをその仕事に就いた時から教育されているのであるが、同時に間違いに気付き間違いを認め、間違いを修正することを教育されているのだろうか。
筆者の友人が銀行の仕事をしていて、銀行員というのは危機管理ができていないという話を聞くにつけ、なぜだろうと思った。
銀行員なんて、一番間違いがあってはならない人たちであるからである。
その友人いわく、銀行で「危機管理とは何か」を教えてもらった記憶がないという。
彼と話していて、わかってきたことがある。
それは、「間違いがあってはならないこと=間違いを認めてはいけないこと」になってしまうという職業病である。
つまり、間違いがあってはならない人たちは、決して間違いがあってはならない。万一、間違いがあったとしてもそれを間違いと認めてしまうと間違いがあったことになってしまうため、間違いを認めてはならないという思考回路がどうも生じているようである。
ちょうど、いまニュースになっている重大事故を起した某鉄道会社と当該事故調査委員会をめぐる一連の情報漏えい事案の対応を見ていてもそうである。まず最初は間違いを認めようとしない。認めてもあいまいな言葉で自身の責任を回避している。
こうした構造の背景には、間違いがあってはいけない人たちが間違いを犯すということ自体が極めて重大なペナルティになってしまうという企業風土があるのではないいだろうか。すなわち、間違い自体ではなく、「間違いを犯したということ自体」がペナルティになると考えるから、自身の保身のためには「間違いを認めてはいけない」ということになってしまう。
間違いがあってはならない人たちの最大の危機管理は、間違いに気付き間違いを認めて改善案を考えることなのかもしれない。
ぼくは障害があるからできません・・・
最近、職場であった不愉快なこと。
一ヶ月くらい前に職場のCSR活動の一環として下草刈りと間伐ボランティアの案件が一つ、障害者のチャリティランの案件が一つの二つのボランティア募集の案内が社内メールで流れてきた。
筆者も以前に参加したことがあるが、ボランティア募集の案内を出しているCSR所管部署は案内を出すだけでいつも汗をかいていない。
このボランティア活動は筆者の所属する企業グループ全体で取り組んでいて、他の企業ではCSR担当者が自ら参加していた。
筆者の職場のCSR担当は、いつも「フリーライダー」である。
先日、グループのCSR担当から人数が集まらないらしく「ボランティア活動参加歴のある方にお願いメール」が送られてきた。
ボランティアは確かに善意の参加者によるものであるが、職場のボランティアはある意味仕事的要素もあると思う。また、現場を知らずしてCSRは語れない。
そう思って、いつもうちの職場はCSR担当が参加していないけれど、グループのCSR担当が困っているみたいだし協力してあげたらというメールを出してあげた。
そうしたら、担当から帰ってきた回答は、私は右腕が不自由だから片手で作業して怪我する恐れがあるからご遠慮しますだそうだ。
確かに、片手での作業は確かに危険である。しかし、ボランティア活動は気持ちの部分も大きい。下草刈りや間伐でも「刈り取った草の片付け」など片手で安全に作業できることはある。
さらには障害者のチャリティランなどはまさしく右腕が不自由な担当者が活躍できる場である。
あまりに不愉快だったので、「配慮が足らず申し訳ないと謝罪した上で、チャリティランを昨年から企画している筆者の親友は貴殿のように右腕が不自由なばかりでなく、左腕と両足も不自由で車いす使用者であるが、立派に社会貢献をしている。貴殿も貴殿の個性を活かした活動を考えてはいかがか」と返信して差し上げた。
確かに人間だれでもできることと出来ないことはある。
しかし、やる気と工夫があれば、いろいろとできることはあると思う。
強制をするつもりはないが、前向きに取り組むことがお互いに必要なのではないだろうか。
一ヶ月くらい前に職場のCSR活動の一環として下草刈りと間伐ボランティアの案件が一つ、障害者のチャリティランの案件が一つの二つのボランティア募集の案内が社内メールで流れてきた。
筆者も以前に参加したことがあるが、ボランティア募集の案内を出しているCSR所管部署は案内を出すだけでいつも汗をかいていない。
このボランティア活動は筆者の所属する企業グループ全体で取り組んでいて、他の企業ではCSR担当者が自ら参加していた。
筆者の職場のCSR担当は、いつも「フリーライダー」である。
先日、グループのCSR担当から人数が集まらないらしく「ボランティア活動参加歴のある方にお願いメール」が送られてきた。
ボランティアは確かに善意の参加者によるものであるが、職場のボランティアはある意味仕事的要素もあると思う。また、現場を知らずしてCSRは語れない。
そう思って、いつもうちの職場はCSR担当が参加していないけれど、グループのCSR担当が困っているみたいだし協力してあげたらというメールを出してあげた。
そうしたら、担当から帰ってきた回答は、私は右腕が不自由だから片手で作業して怪我する恐れがあるからご遠慮しますだそうだ。
確かに、片手での作業は確かに危険である。しかし、ボランティア活動は気持ちの部分も大きい。下草刈りや間伐でも「刈り取った草の片付け」など片手で安全に作業できることはある。
さらには障害者のチャリティランなどはまさしく右腕が不自由な担当者が活躍できる場である。
あまりに不愉快だったので、「配慮が足らず申し訳ないと謝罪した上で、チャリティランを昨年から企画している筆者の親友は貴殿のように右腕が不自由なばかりでなく、左腕と両足も不自由で車いす使用者であるが、立派に社会貢献をしている。貴殿も貴殿の個性を活かした活動を考えてはいかがか」と返信して差し上げた。
確かに人間だれでもできることと出来ないことはある。
しかし、やる気と工夫があれば、いろいろとできることはあると思う。
強制をするつもりはないが、前向きに取り組むことがお互いに必要なのではないだろうか。




